内に向けた言葉の行き先

「しまぐらし」というアプリを2年くらいずっといれている。

しまぐらしでは250字以内の投稿をメッセージボトルとして文字通りネットの海に流してしまう。

投稿は不特定多数に届いて24時間後に非公開になる仕様で、基本的にユーザー間のフォロー機能がない。

誰に届いたかわからない、自動的に投稿が埋もれていくという点で、数年前に一大ムーブメントを起こした「ひとりぼっち惑星」に似ていると思った。

 

他ユーザーのボトルがランダムに流れてくるタイムラインのようなものはあるが、SNS特有の炎上を起こせるような仕組みが取り除いてある。そのためか自分の始めた当初から比較的殺伐としておらず、穏やかな投稿や自己完結的な愚痴が多かったような印象だった。

少し脱線すると、きっと他のSNSでも全体数としてはそのような投稿が多いのだと思う。ただ拡散機能がつくと途端に届いて欲しくないものが届き、届いて欲しくない人へ届くようになり、炎上の大きさも明らかになりやすい。そういうタイムラインは刺激的で面白いと同時に、毎日触れているとくたびれてしまうようになった。

 

さて、しまぐらしの話。

個人的によく感じることとして、しまぐらしには独特の空気が流れている。

誰かを極度に否定しない、自分の成果はまず自分で認めようという前提があるのだろうか。わたしが勝手にそう解釈しているだけか。

投稿を書き込む画面では、アプリのキャラクター「もぐらさん」が「言葉選びは思いやりだモグよ」と言っている。素晴らしい一文だ。コミュニケーションの大事な部分はこの一言に凝縮されているのではと唸る。

自分もガス抜きに使うことが多いのだが、先の言葉を受けてどうしても不満一辺倒では終われない。原因の擁護までして終わってしまう。

 

特に他人の投稿への反応については、穿った言い方をすれば肯定しかしてはいけない空気があるというか、他人への共感が強要されているというか。ともかくそれがかなり居心地よかった。

ただ心境を話すだけで顔の見えない誰かが共感し、応援してくれた。

現実でポエミーと揶揄されるような文体も、短歌も、引っかかる人がいれば肯定してくれる。

表層的で深層的な交流だなぁと感じる。

 

 

そういうの、大事にしていきたいよね。

 

あーあ今日も尻切れとんぼです

さよなら。おやすみなさい